Concept コンセプト

幸せの風を届ける。お菓子を通して、記憶に残る記念日、思い出を演出する。お菓子は人が幸せを感じる最高のツール。お菓子で人が幸せになってしまう舞台がスイーツワンダーランドアラキというお店。

千葉県松戸市にあるケーキ屋"サルビア洋菓子店(現在はパティスリーサルビア)"の長男として育ち、幼少期より、お店を手伝いながらお菓子にふれながら育つ。
父親は、伝説の名店"浅草ナガシマ"の全盛期にスーシェフとして活躍していた、洋菓子業界の先駆者の一人。
サルビア洋菓子店を開店後も、お客さまの心をつかみ知名度を広げていった。
現在は、弟夫婦が後を継ぎ、地域の皆さまに愛されるお店つくりを続けている。


父親の背中を見て育ち、洋菓子への道を進むことを決意。
高校卒業後、東京製菓学校へ入学
東京製菓学校卒業後は、吉祥寺エスプリドゥパリへ入社。


19歳
販売スタッフとしてスタートし、基礎技術、販売接客、支店長、百貨店店長など通して、お店を運営することに必要な基礎を身につける。
お店が急成長していく中で、仕事もハードだったが、ここでの経験が、「何があっても大丈夫!」という自信に繋がった。
現在でも親方、師として仰ぐ鈴木社長や濃い時間を過ごした生涯の仲間達と出会えたことが何よりの財産。


25歳
その後、東大和市ルメナジェへ。
一人で200種類以上ものお菓子をお客様へ提供していた勝谷シェフの仕事に一目惚れをして入社。スーシェフとして、仕事の幅を広げる。

ルメナジェ2年目のお正月。
ルクセンブルクからかかってきた知り合いからの電話がきっかけとなり、渡欧を決意。

27歳
最初の電話から2ヶ月を待たず体一つでヨーロッパのルクセンブルク、フランスへ。
ルクセンブルクでは、王室にもお菓子を納めている名店オーバーワイス、フランスでは、MOF(人間国宝、国家最高技術職人のような称号)ショコラティエのセルジュグラジェ氏のお店で仕事のご縁をいただき、技術、知識を勉強する。


ヨーロッパでの最大の気づきは、「向こうの人たちは、どこにでも家族を連れて行き、きれいだろう?かわいいだろう?と奥さんや家族を自慢する。」
仕事と家族を天秤にかけたら、圧倒的に家族のほうが重い。そういう価値観に触れて頭をなぐられたような衝撃を受けました。
家族の素晴らしさに気づくことができた。


このヨーロッパでの気づきが僕のライフワーク、お店のコンセプトへと繋がって行きました。

☆僕の生き方の根っこは、関わってくれた人たち全員が幸せになってもらいたいということ。
それを表現するためにお菓子は最強の手段の一つだと思っています。
例えば、お菓子がテーブルの上に一つ出てくると、その場の空気を変えられる。
食べて美味しく、楽しくなって、余韻にも浸れて、そこから時間が巻き戻って思い出話などが始まることもある。
しかも、身近に手に入って、どこへでも持っていける。
世の中のこういうものはそう多くないと思います。

29歳
帰国後、大塚のコートドールというお店で、オーナーの変更によるリニューアルという時期に、初のシェフパティシエとして就任。


今以上に、まだまだ人間的にも未熟で、その時の僕は、人のために何かをするという気持ちがほとんどありませんでした。
当然、人間関係もうまくいかないし、結果も出ない。


このままでは、いけないと思い、新しい考え方、価値観を取り入れるために、お菓子屋の現場で働くことを捨てる決意をしました。


32歳。
日本一の生クリームメーカー中沢乳業(本社所在地 港区新橋)にご縁をいただき、新橋のサラリーマン生活がスタート。


生クリームやチーズケーキなどをメインとした商品提案、講習会などで日本中を飛び回り、日本全国の繁盛店、大手チェーン店、レストランなど、 さまざまなお客様と話をしながら、商品を提案、相談などを受けていく仕事です。


ほぼ毎週 どこかに出張して、新しい商品を提案するのですが、辛いと思うことは一度もありませんでした。


人に伝えて、よかったと喜んでもらえる。パティシエはお菓子を作ることだけが仕事ではない。こんなこともできるんだという可能性を見つけられました。


日本各地で、新しいものを提案していくには、支えてくれる仲間、力を貸してくれる仲間がいてこそできる仕事。
本当に素晴らしい仲間たちとの出会いに本当に感謝しています。


38歳
独立準備に向けて退社後、今までの経験から、商品開発や新店舗の立ち上げを担うスイーツコンサルタントとして活動。
日本各地を始め、台湾、北京、上海と活動の場を拡大。

40歳
人が幸せになってしまうお菓子屋「スイーツワンダーランドアラキ」をオープン。


カラフルな外観、ディスプレイ、お菓子以外の雑貨など、お菓子を通して楽しい時間、思い出を演出したいと、あえて、「パティスリー」とは名乗らず、なんでもありの楽しいお菓子屋として「ワンダーランド」という名前にしました。


子供向けのお菓子が出てくるガチャガチャもそんな思いから始めてみました。
かわいいデコレーションケーキの種類がたくさんあって、お買い得価格で提供しているのも、一つのお菓子を囲んで、みんなでワイワイ言いながら同じものを食べて、キラキラ輝く思い出に残る時間を過ごしてほしいから。



「幸せの風を届ける」
これが、僕の生き方であり、お店のコンセプトです。


僕たちパティシエは、クリエイターでありアーティスト、伝道師でもあります。
届けていただいた材料から、人を幸せにできるものを生み出し、お菓子を食べた人が幸せになって、プレゼントでお菓子を贈られた人が幸せになって 嬉しかった!美味しかったと!とお礼を言われてお菓子を送った人がさらに幸せになってしまう。
そんな連鎖を広げていける。これこそが、パティシエの醍醐味です。


お菓子を通して人が幸せになってしまう舞台として、ますますスイーツワンダーランドアラキが魅力的になっていくように
僕自身がより魅力的な人になっていくように、日々、進化してまいります。

荒木浩一郎

荒木浩一郎

経歴
1994年 東京製菓学校卒業
1994年 東京、吉祥寺 おかし倶楽部エスプリドゥパリ入社
2000年 東京、東大和 ルメナジェ スーシェフ
(渡欧)
2002年 ルクセンブルク オーバーワイス、 フランス MOFショコラ セルジュグランジェ
(帰国)
2003年 東京 大塚コートドール シェフパティシエ就任
2006年 中沢乳業株式会社 シェフパティシエに就任。
生クリーム、チーズケーキの専門家として今までに400件以上のお客様に商品提案、講習会などを実施。"斬新な切り口のお菓子""結果につながる講習会"を行うパティシエとして、その後、9割以上のお客様から再び指名される。地方名産品、インターネットNO1商品のなかにはプロデュースしたものも多い
2012年 スイーツコンサルタントとして、日本各地、台湾、北京、上海などで、商品開発、ブランドの立ち上げなど活動。
2014年 スイーツワンダーランドアラキ オープン